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松平忠直

松平 忠直(まつだいら ただなお)は、江戸時代の大名。越前北ノ庄藩主。結城秀康の長男、母は側室の中川氏。

慶長12年(1607年)、秀康の死に伴って越前75万石を相続し、慶長16年(1611年)には将軍徳川秀忠の娘・勝姫を正室に迎える。

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慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では、用兵の失敗を徳川家康から責められたものの、夏の陣では真田信繁(幸村)らを討ち取り、大坂城へ真っ先に攻め入る[1]などの戦功を上げた。しかし、戦後の論功行賞に不満を抱き、次第に幕府への不満を募らせていった。元和7年(1621年)、病を理由に江戸への参勤を怠り[2]、また翌元和8年(1622年)には勝姫の殺害を企て、また、軍勢を差し向けて家臣を討つなどの乱行が目立つようになった。

元和9年(1623年)、将軍秀忠は忠直に隠居を命じた。隠居後は出家して一伯と名乗り、豊後国府内藩(いまの大分市)へ配流となった。1650年に死去、享年56。

1605年(慶長10年)9月10日、従四位下に叙位。侍従に任官し、三河守を兼任。
1606年(慶長11年)3月3日、右近衛権少将に転任。三河守如元。
1607年(慶長12年)閏4月27日、家督相続し、藩主となる。
1611年(慶長16年)3月20日、左近衛権少将に遷任。三河守如元。
1615年(元和元年)閏6月19日、従三位に昇叙し、参議に補任。左近衛権中将・越前守を兼帯。
月日不詳、参議辞職。左近衛権中将・越前守如元。

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2009年05月01日 11:08に投稿されたエントリーのページです。

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